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「本間雅夫の音楽」に寄せて


 本間雅夫先生は、1974年に宮城教育大学助教授着任後、30年以上にわたって、仙台を拠点として、創作活動(作曲)と教育の両面で多大な功績を遺されました。

 人を育てる仕事である「教育」と、表現者としての「作曲活動」を両立させることは、決してたやすいことではありません。しかし、小学校の代用教員としてスタートした「教育」と、24歳にしてNHK・毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)第1位入賞の祝福を受けてスタートした「作曲活動」は、本間雅夫というひとりの強靭な精神を持った人間の生涯を支え続けた、車の両輪のようなものだったのかも知れません。

 作曲家としての活動であっても、自身が教育者であることが忘れ去られたことはありませんでした。OGD「音楽の現代と伝統の会」やFCM「現代音楽に親しむ会」の主宰、それに全国から注目されたアジア音楽祭をはじめとする様々な企画は、20世紀の音楽を仙台の地から発信するという啓蒙活動的な意味が込められていました。また、若い作曲家や演奏家を育てていくために、多くの演奏の機会を提供するという教育的な面を常に併せ持っていました。そして、この多くの営為は、本間先生自身の献身的な「手弁当」で進められました。名誉欲でも自己顕示欲でもありません。ましてや「商売」のためでもありません。作曲家としての表現の場を自ら設える必要があったのもさることながら、文化や芸術を取り巻く社会に対する危機意識が、やむなくこのような活動へと駆り立て、多くの情熱を傾けさせたと言えるのではないでしょうか。

 2005年、06年、07年に行なわれた「本間雅夫の音楽」には、それぞれ次のようなサブタイトルが付けられています。「わらべうたから合唱へ」(05年)、「戦争・原爆と対峙して」(06年)、「内なる津軽からの響き」(07年)。20世紀の音楽、世に言う「現代音楽」は、難解な芸術と同義語のように思われがちです。しかし、本間先生の音楽は、「現代音楽」が陥りがちな無機質で非感情的なものではありません。「わらべうた」、「戦争・原爆」、そして「津軽」。期せずして付けられたこの3つは、本間作品を解くキーワードといえるでしょう。「わらべうた」や民謡の研究から導きだされた音の組織化の方法、いわゆる「昭和ひとケタ」ゆえに語りつくせないであろう「戦争・原爆」の不条理、そしてアイデンティティとしての故郷・津軽。本間雅夫の音楽は、生涯これらのテーマから逸脱することはありませんでした。一途ともいえるその態度には、社会環境や芸術の思潮に鋭敏に反応しながらも、安易に流行を追うことのなかった、真の意味で「大人の芸術家」の姿が垣間見えるように思います。

《本間雅夫の音楽'10》プロジェクト
プロジェクト・リーダー:吉川 和夫(作曲家、宮城教育大学教授)